昭和41年05月28日 朝の御理解



 椛目で御信心の稽古を、さして頂いておる人達、椛目に御縁を、頂いておる方達、もうそれは私共には、本当に何でもない事の様にあるけれども、天地の親神様と、金光大神様のいうなら、お話合い、御相談合いというか、そういう、一つの約束事と申しましょうかね、約束事の上に、又はその中に私共はあると云う事。まあそれは、善しに付け悪しきに付けその中にそうした、特別のお働きを頂いておるという、これは椛目といった、かぎった事ではなかろうけれども、特に椛目の人達は、そこんところをひとつ思わなければいけないと思うですね。
 ですからもう椛目に、御縁頂いておる方達その気に皆さんがなられたら、絶対のおかげ、間違いないという確信もって頂きたいと思いますね。その為にはお互いが本気で一つゆるぎのない、又は隙のないと思われる、自分で例えば、事実を示された時に今日も結構な修行をさして頂きまして、有難とう御座いましたと、今日も結構なおかげ頂きまして、有難とう御座いましたという事が、もう真実言えれる修行であり、おかげでなからなければならない、日々がね、そして、今日はあそこも疎かであった。
 ここも御無礼であったと本当に求められる、修行もよう致しませんでと云う所は、もう心からひとつ詫びて行かなければいけんのですね。もう、本当に心の底からそういう意味合いで私共は詫びる事ばっかりなんですよね。例えば夜の御祈念にですよ皆さん御神前に出られてから、今日も結構な修行をさして頂きましてと、こうお礼を申し上げて、その後は、あそこも疎かだったろう、ここも受け間違いじゃなかったろうかと思う所に、実は( ? )気が感がする。
 そこでやっぱり私は椛目の信心はもう、お詫びに明け暮れると云う位な信心が言わば謙虚な信心がなされなければいけないと、こう思うですね。もう、善しに付け悪しきに付けここで御神縁を頂いておる方達がです、様々なおかげの中にあるので御座いますから、場合にはまあ善しとか悪しきとか申しましたけれど、まあ大体いうなら、神愛の中にですけれども私共が、まあ撫でられれば良いおかげと思い、叩かれりゃいやな事だと、こう難儀とこう思うのですから。
 だから痛い事、又はこんな事おかげを受けてもいいだろうかと云った様な時、どちらに致しましてもです椛目で御神縁を頂いて、信心の稽古をさして頂いておる人、それを元にその端々にまで、自分では椛目の信者と意識していない程の人でも、椛目に御縁を頂いておくからにはです、そういう特別な働きの中にあると云う事を、皆さん確信を持ってですね頂いて。そしてそこに、お礼お詫びと云う事によっで、日々のまあ出来てない所を補て行く様な、日々を頂いてまいりませんとね。
 ちょうどおかげというものは、いうならあの段々若いからこう熟していく果物の様な物、おかげというものはですから、丁度熟して食べられる時というのがあるのです。その食べられると言った様なおかげを頂き損うね、例えばあすこにパイナップルのお供えがあっとりますけれども、あれをまだ、青い時に頂いたらもう、渋うて苦うて食べられません。だからそれでは、やっぱりおかげはおかげですけれどもです、それでは矢張り、美味しかったと云う事にならないでしょうが。
 というて時期を過ぎたらこの実が軟らかくなって頂けません。もう、それこそ香りがプンプンしておる。 もう、それこそ砂糖なんか掛けるだんじゃなか。もう本当にパイナップルならパイナップルの一番食べ頃とい時にはですね、もう、それこそ口惜しい様な味わいがあるもんです。香りにしろ、味にしろそういうおかげがぴっしっとこうキヤッチ出来る信心。お互いがそういうおかげの中にあるのだけどおかげの頂きようが悪いから、キャッチのしょうが悪いから、若い時にちぎったりね。
 又は、それが熟し過ぎてから、ちった腐った臭いがするごとなってから頂いたんじゃいかんでしょうが。もう、なんと素晴らしいタイミングの中にです、ぴしっとおかげの頂き止められる信心をさして頂く為に、今日私が申しますです、椛目に御神縁頂いておる人達は、取分けそういう、善しに付け悪しきに付け、そういう働きの中にそういう神様の特別の働きの中に、天地の親神様と金光大神とのお約束事の中に私共があると云う事をです、確信して頂かなけれはならないと云う事。
 私は、昨夜遅うある事で、又、夜中に下に出てから御用さして頂きました。そしたら神様からですね、椛目のお月次祭の事を頂きました。皆さん御承知の金光大神をお読みになった方は御承知で御座いましょうけれども、あの教祖の神様は、教祖の神様はですね、昔から天地金乃神とか言う風には拝んでおられなかったんですね。日天子、月天子というて拝んでおられた訳ですよ。
 お日様の日ですね、日天子、又は月天子、月の天子と書いてそれに、月の十日は金光大神の永世の祭り日として、月々の十日は九日の日からそのいうなら、前夜祭をなさって十日のお祭りをなさっておられたね。その事を頂くんですよね。夕べ、そして頂きます事がですね。ついたちが日天子祭と神様が、ついたちが、十日は金光大神祭じゃやっぱりそうなんだ十八日のお祭りがこれは四神様、私が昔から皆さんに申しております四神様のお祭り、二代金光様のお祭りね、と云う事は是は三代様そして。
 是から所謂歴代金光様のお祭り日と云う事になるでしょうね。二十三日のお祭りに至っていよいよびっくり致しました。二十三日はね、月天子祭と仰る。月末祭と頂きました。ほんに二十三日ちゃ確かにお月様に関係のある日だと云う事ですね。私共はその事は考えも何もせずに二十三日という月次祭が決まったつですから、もう、二十三日でしょうが。その朝のお参りが、月よりの神様のお祭りなんです。  
 ははぁ月末祭なんです。日天子祭、月天子祭ね。それに金光大神祭、十日の、それに四神様を始め歴代金光様のお祭り。成程、私は椛目の場合本当にあたしゃ昨日の夜、体がですね、もうこう肩が( ? )その事を頂いてから、もうどうにも身動きの出来ない働きの中にあるのだなあと云う事です、椛目は。皆さん、だから、そういう内容、そういう思いを持ってお月次祭を頂きなさらないかんですね。
 してみると明日が月次祭という時にゃですね。やっぱ、宵祭をなさる気持ちがいるです。明日月次祭だとね。いわゆるあの御大祭の時。前夜祭をするごたる気持ちがいるのですね。皆さんこの事をよぉぅくひとつ覚えてからですね、これからこの御理解を頂かなった人、これから次々とあなた方の信心を受け継いで行く人達にです、椛目では、こういう神ながらの中にあるんだと云う事を、もういうて言い残してです伝えて行かなければいけんです。そして善しにつけ悪しきにつけ。
 神様のそうしたどうにも身動き出来ない程の神様の働きの中に私共はあるんだと。氏子信心しておかげを受けてくれと仰るなら、私共は日々の信心を油断なくおかげを頂かしてもろうて。只今申します様に果物の頂き頃というその時期というのは、必ずあると、その時期をぴしっと頂き留めるだけの信心を常日頃からしとかなければいけません。横着な信心ではそれを頂きそこなう。神様がどんなにお気付下さっておっても災難があるぞというて、お気付下さっておってもそれを頂き止める事がでけない。
 どんなにおかげを下さろうとしておってもそのおかげはですね、あまりに地団駄踏んでお願いするもんじゃから、もう渋かごたってもう渋かごたるとを頂かなならん。そこに時期をじぃと神様が下さる時期を待たして頂く所にです丁度果物の成熟した一番美味しい時に頂かして貰うて。甘くて口のとろけるごたる味わいのおかげであると云う事をです、頂かして貰う筈のを間違えますとそれを時期を外す事に成ってしまうんです。
 それを頂き留める為にですね、私共が日々の信心の稽古の中に、こんにちも結構な修行のおかげを頂きまして有難とう御座いますと、言えれる様な一日でありたい。所が実際はです、あれもお粗末であったろう、これも御無礼であたろうと云う事ばっかりに気付かして頂きますから、やはり椛目では詫びていかなけれはいけんという意味がわかるでしょうが。詫びないけんと本気で詫びないかんとね。
 そして本当に詫びぬかせて頂いてです、もう今日という今日は本当に教えのままに動かして頂いたというなら、又有難い(?)そういう訳で、それでも、矢張りどこにお粗末、御無礼があるやら分らんから、人間の事で御座いますから、やっぱりお詫びせないかんね。どこにお粗末御無礼がある所じゃない。自分に気付かして頂いての、お粗末御無礼がです、実意ではない、横着なわがままな、言わばあり方というものがですね神様に心からのお詫びをさせて頂いてね。
 その詫びが叶うたという気持ちにならなければ、休まれないという位な信心をさして頂く所にです。、おかげもびしっと頂き留められる。おかげを受けられるね。どうぞ例えば、椛目の神定めのままにです、定められておる、お月次祭と云う事に付きましてもです、そういう私共の知らん中に只もう丁度、日にちがもう、具合ようやっちゃるとじゃろうと言う風に、まあ適当なごと私は思っとったけれども。
 そういう中に、神様のどうにもでけん働きを頂いてです、成程、一日は日天子祭、成程十日は金光大神祭、月の十八日はある意味では、金光様のお祈りの日と、成程二十三日は月末祭であるなという事をです、感じるでしょうがね。そういう働きの中に、お互いが御縁を頂いておると云う事を、有難いと分らせて頂くだけではなくね。
 そこの中にある所のおかげを本当に有難いおかげとして、受け止めさして頂く為にね。日々を有難い、又は勿体ない、相すみませんと云う様なです、所に本当に気付かさせて貰うてお礼を申し上げる所に、お礼を申し上げ、お詫びをする所は本当に速やかにお詫びの修行をさして貰うて、お礼をお詫びの叶うたと云う様な感じの一日、毎日でなからなければならないと云う事を思いますですね。
   どうぞ。